忍者ブログ

そうだ僕らはアイドルだ。

Home > ブログ > ひとりごと

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

無題

感動ってなんだろねい

私は好きな映画のサントラを聞くだけで
泣いてしまったりする
差別が主題の物語なんて読んだ日には
10年はき続けてるスエットのゴムかよ
ってくらいに涙腺がゆるっゆるになる。
ダム崩壊、津波被害。


人って意外とすぐに感動してしまうのに、
なんでか自分の感動する気持ちを特別視している節があるよなぁ

特別視するだけならいいけれど、
そこを根拠にして人生を決めてしまったりもする

「子供の頃マジックをみて感動したのでマジシャンになろうと決めました」
なんて具合である。

そりゃあ感動するだろう
子供だもの、なんだって新鮮だろう。
結局タイミングの問題なんじゃないか
心がすっと素直だった瞬間に
偶然それを経験したってだけで
実際なんだってよかったんじゃないかと思う

偉そうなことを言っているが
私も例に漏れず絵画に、美しい絵を描く人に、人がこんな美しいものを生み出せるという可能性に、
小さい頃にうっかり感動してしまって
ここまで突っ走ってしまったのだけど。

話がぐちゃぐちゃですが
なんの話がしたいかっていうと
昔は感動したものの模倣をしていたけど
いつのまにか誰かを感動させたいって
思うようになってたなあという話で。

いつのまにか自己満足じゃだめになってたんだよな。
絵なんてアートなんて自己満足でしょと
皆さん思っているでしょうし
部分的にはその通りです。
でも他人からの評価を求めてしまうのだよね。結局。
自分が泣きたくなるほど綺麗な絵を描けるようになることより
その絵を誰かに見せて泣いてもらえるようになりたいと思ってしまう
いつのまにか感動させたい対象が
自分から他人に変わってしまった。



人って結局、一人じゃだめなんだろうな
パートナーが必要とか
そういう話ではなく、
人生はすこぶる長いので、
自分だけの満足を追求していたら
すぐ飽きてしまうんだろう
だから、誰かに何か影響したくなってしまうのだろうなと思う。

結婚って今じゃ制度的に疑問があるし
する必要性を感じない人もたくさんいると思うのだけど
結婚する理由は、愛とか運命とか生活とかじゃなくて、一面をクリアして二面にいくような、
次のステージにいくようなもんなんじゃないかな。
独身ステージのダンジョン全部回っちゃったし、
出てくる敵もアイテムももう全部見たことあるやつだけだな〜
ってなってしまったら、
結婚っていう別ステージにいきたくなるんじゃないかな

話が逸れたけれど、
だから、私は何か物が作りたくなってしまうし
自分が満足するものじゃなくて
誰かを感動させるものを、と思ってしまう

他人の評価なんて流動的で
何も確かじゃないのに
そこに自分の存在意義を見出してしまうんだよな。

人に教えてもらってすごく好きになった歌の歌詞に
「変わってくのはいつも風景」
という節があって
全くその通りだとおもう。
私自身の変化に合わせて周りが変わっていくわけではない
そんな明瞭なシステムじゃないのだ。

しかも感動なんて、
最初にいったように驚くほどすぐしちゃうもんだし
そこに価値を見出すのは
やっぱりアホらしいと思う。
開き直って自己満足ですって
言い切ってるほうがいい気もする。

でもそれに大きなやりがい感じちゃうんだよな
誰かを感動させること
誰かを楽しませること に
ひとりで生きるのはつくづく無理なんだなって
思うね。
少しくらい自分の感動や自己満を基準にしてあげないと
どこかでボロボロになってしまいそうだから
そこは気をつけなきゃだけど。
気をつけます。

ひとりごとおわり。

拍手[6回]

PR

恋愛相談のこと

数ヶ月に一回
「あれ?私、ブログあるわ」
って思う日がくるんですよね。

いやもうすっかりツイッターとインスタに
日常記録ツールの座を奪われてるよね

でもやっぱり時々
長い文を書きたくなるから
開いてしまいますね。
といっても今日はほんと
書きたいこともなんもなく来たので
ゴミみたいな駄文書き捨てていくだけだけど。

さて私は22歳になったわけです。
女は21から全員ババアだと思っているので
まぁババアも板についてきたんですが


恋話が好きだわ


もう、痛々しいよね?
ババアになっても惚れただの腫れただの
いい加減みっともないよね?
ババアしっかりしろよって?

うるせぇよ!!!!!


好きなんだよ!!!!!!
世界を回してんのは
愛(と性)だろうがよ!!!!!!!



というわけで懲りずに好きなんですが
最近、恋愛相談ってなんなん?
という気持ちが急遽浮上中で。

こんなことインターネットで
いっていいのかよってかんじなんですけど
私最近までとてもよくない恋愛をしていて
望みも未来もないやつ
それで、友人にバンバン相談してたんですよ。

私はよく恋愛相談をされる方で
いつもそれに対してベストアンサーを自分の中で
出してるつもりだったし
相手も大抵
「相談してよかった〜〜」
みたいなこというから
いやこれ今日も救っちゃったな、人
みたいな
世界を少し幸せにしちゃったな
みたいなヒーロー気取りしちゃってた

でも本気で相談する立場になって気づいた




マジ、聞く気ねぇ





恋愛相談において、他人の意見、めっちゃどうでもいい


てか、じぶんで何日もぐるぐる考えたことを人に聞いたとこで
自分よりしっくりくる結論なんて
出るわけがねぇし

恋愛関係って異常なものだから
他人には内部のこととてもとても通じないし
全然意味ないなこれ!!
これいままで真剣に乗ってきた相談
多分全然意味なかったなこれ!!!

だって言うもん!
聞いてもらったからには
「ありがとうほんと相談してよかった」

って!!!
思ってねぇのに!!!
相談する前と後で
精神状態一ミリも変動してねぇよ!!!

クソ女どもめ!!!




もう真剣に恋愛相談なんてのらないぞ
と心に誓いました

自分の中で静かに消化されるのを
待つしかないんや恋愛感情なんて

つらいっていう女の子を見て
本当に幸せになって欲しくて
ああしろこうしろいっても駄目で

その時にできることは
つらいね、仕方ないそういうこともあるよ
っていって一緒に泣くことだけなんや

女の子のそういうどうしようもないとこ
むかつくけど可愛いし愛おしいな

おわり

拍手[5回]

昔の自分もよかったよっていうひとりごと

過去の自分を振り返る誰かの記事を読んで
突然いろいろ考え出してしまったので
ここにダラダラ綴りますが

私はなんともめんどくさく人を馬鹿にしがちな人間だった。

中学高校の時は本当に「なぜ私以外の人はこんなにもバカなのか」と思っていたような気がする。「なぜこんなにも世界はつまらないものしかないのか」と思った。
CMを見ても映画を見ても漫画を読んでも人を見ても批判だけを探した。女優が、作画が、脚が…。そこだけ見ていたら世界は本当につまらなくてくだらなかった。

なんだってあんなに人の上に立とうとしていたのかなぁ、と考えてみたり人に話すと
中二病じゃない?という答えがすぐでてくる。若かったじゃない?とか。
でも、中二病なんて誰かが揶揄してつくった言葉で解決していいのかな。思春期が、ホルモンが、なんて、タイトルが与えられたから納得してしまうけれど、本当にそんな絶対的な他力でそうされていたのかな、それだけではない気がする。
例えば今の歳だと、生理前にイライラしたり人に当たったりしたら「生理前だからホルモンのせい」とか思ってしまうけど、本当だろうか。
本当に嫌な人間なのではないの?本当に生理前以外はいい人間なの?
生理前は、人を傷つけていいの?

私も女の一員で、ほんとに生理前はイライラしやすい、と実感的にわかっている。
でも、だからってそれが全てではないじゃないか。

私が中学高校の時は、「中二病」という言葉を知っていても「そんな大人がつけたタイトルだけで解釈できる状態じゃない」と思っていた。
21になって、忘れていたけれど
思春期 なんて言葉で、中二病なんて言葉で括っていい日々なんかじゃ無かったと思う。

「箸が転がっても笑う年頃」だった私は、本当に友達の一言一言に大笑いして、呼吸困難直前のようになっていた。友達が他の人と仲がいいのが許せなかった。毎日毎日遊んでも遊び尽きなかった。
思春期だからなんかじゃない、私の心はもっと開けていた。新鮮なことがたくさんあって、いつも感動があった。新しいものを探すエナジーがあった。
人を今よりもバカにしていたけれど、今よりも愛していた気がする。
毎日はつまらなかったけど、今と比べたらずっとずっと無駄を楽しんでいた。
わはは。ここまで書いて今気づいた。
私の中高時代、全然つまらなくないじゃないか。
中二病という言葉で昔のキラキラを忘れて今を肯定しようとしていたのかな。
昔の私とてもキラキラしてるじゃん。


高校でわたしは美術部に仮所属していたけれど、新しい絵を描き始めようとラフスケッチをした中に、広大なスペースに何千何万の宝箱のようなものが敷き詰められていて、どれを開ければいいのかわからない女の子が真ん中に立ち尽くしているというスケッチがあった。
私の周りはあまりにも可能性と希望に満ちていて、それが怖いとさえ思った。(今も少し思うけど)

男の人に好かれること、脚が細い事が、世の中で一番大切に思えた。

でも、今は持て余してしまう何もない休日を、笑って過ごすことができた。

いつからこんなにタイトルに頼るようになったのか。考えることも覚えていることも怠けてしまっている。
今の自分を肯定したいのかもしれないな、だって過去には帰れないわけだし。

この前、諸用あって昔の自分のツイートを遡ったら、
当時好きだった人との会話が残っていた。

もう、ほんと、顔面から火を噴くどころか
溶岩が湧き出て顔面ドロドロに溶けそうだったけど

超愛、溢れてたよ
趙だけに。
いやはや、好きだったな〜。

なんだかんだあり今はもうずっとずっと嫌いになってしまった
そうすると好きだったなんて感情が
あったことさえ忘れてしまうのだな。
というかなかったことにしたくなる。
だって、戻れませんし。

昔のキラキラを思い出すだけ辛いのかもしれない。
でも認めてあげたいな。
キラキラしてたんだし。
安い言葉だけど、かけがえのない時間だったわけで。
全力だったわけだし。
昔のいいところも見つめていこうと思いました。
突然のひとりごとでした。
おわり!

拍手[8回]

無題

アプリをね、ダウンロードしました。
ブログの記事がスマホから書けちゃうやつね。
なので、記念に更新をしようかなと思いまして。


電車が好きです
鉄オタ的な要素は一切なく
西武線ってなんか黄色いよね?
という程度の認識ですが
そういうことじゃなく、電車に乗るのが好き。
特に私は普段あまり外出しないので
いろいろな人を見られるのが好き

目の前のオッサンの服装や表情で
その人の1日を想像したり
(気持ち悪い)

カップルの会話やいちゃつきを
注意深く観察してツイッターに書いたり
(気持ち悪い)

隣になった人を、
両思いだけど話すきっかけが掴めない運命のボーイ
と仮定して勝手にドギマギしたり
(気持ち悪すぎる)

楽しみ方いろいろなわけですよ。
しかも夏は涼しく冬は暖かく
座席も座り心地良いわけですよ

もう、なんなのか、天国なのか
地上のオアシスなんじゃないか、と

切符代みたいなはした金で
こんなところ公開していいのかよ、と

人間で言ったら、話も面白くて、気もきいて、親切で、
もう結婚してくれよと言わんばかりの勢いですよ。
顔だけがかわいい奴らとは大違いですよ。

しかも電車に乗ってると、
窓から射す光がものすごい綺麗な瞬間がありますよね
キラキラしてて、神秘的と思えるぐらいの。
なんか、普段は目立たない地味な子の、
ふとした笑顔がものっすごい可愛いみたいなね
恋に落ちる瞬間ですよ
顔がいいだけの人とは違うんですよ
顔がいい人々は、
どんな異性にもとりあえず好かれるだろうな私/僕は
みたいな自信が顔面から溢れ出ている場合が多々あって
もちろん私も綺麗な顔は好きなんですが
その自信を裏付けたくない故に
ものすごい失礼な態度とったりしますけどね

話が大幅に逸れました

顔がいい人といえば、電車に乗ってると
たまにものすっごい可愛い女子高生いませんか
地元では見たことないぐらい可愛い女子高生

やっぱり電車通学=私立?=良い家?=美意識高め?
なのかなぁと邪推したり。
しかも電車だから、すれ違うのとは違って
少なくとも一駅分は凝視できますし。
ミニスカートから惜しげも無く出された太ももに
心の中で万歳三唱です。
ありがとう
世の中に女の子の露出を推奨する
クソみたいな男の人々がたくさんいてくれてありがとう
太ももをありがとう

どうか太ももを見ることがセクハラに認定される日がきませんように。

まぁそんなわけで電車が好きです

いろんな知らない人と太ももに会えるのが好きです

せっかくアプリもいれたし
こういうなんの意味もない記事をたまにぽつぽつかいていこう

拍手[7回]

挟み撃ち系

世の中にはかわいいことを平然とやってのけられる女とそんなかわいいことや女らしい事をあえて避ける女がいます。
避けるどころかののしる場合もあったりします。
私は後者で、家事に凝るとか、ミニスカートをはくとか、恋愛に夢中になるとか、自分の容姿を磨くとか、
いつのまにかそういうものを恥ずかしいと思うようにいっつのまにかなってたんですよね
この可愛い女子と非可愛い女子は一体どこで分岐するんでしょうか、
そして可愛く、女らしくある事を一体なぜ恥ずかしく思うんでしょうか


昔からの持論だけど、二十歳とかになったときいわゆる「かわいい女」じゃなくて
「面白い女」だったり「女らしくない女」だったりする人は多分
女とか男とかモテるとかモテないとかを意識しだした年齢で、挫折を経験しているんじゃねーかなと思います

例えば鏡を見つめていてある日「あ、私不細工なんだ」と自覚する、そんな挫折をしちゃうわけです
化粧も知らずエステも行けない幼い女の子へのその自覚っっていうのはもー絶望に等しい
急に世界の中での自分の立ち位置(ブス)をね、見つけちゃうんです。


いやこれ、骨格からもう間違えてますやん、素材から腐ってますやん
神様がいるとしたら絶対私の事作るときテレビとかみながら適当に作ったでしょ、これ
佐々木のぞみ作るときはご飯も食べずに三日ぐらい熱中してたくせにさ
五分でしょ、わたしのこと五分くらいで作ったでしょ


っつーね
当時(多分中学1年生くらい)の私はその自覚をね、したわけです
それで思った訳です

「私、可愛い女というステージでは戦えない」

「顔じゃ勝負できないから、なにか他の路線にいかなきゃつまはじき者になって死ぬ」

悲しくも建設的な選択ですねこれ
こんな選択を12歳でしているなんて人生ってなんて過酷なんだ

まー私はそコレお調子者とか不思議系という方向を選んで
その方向でキャラを立たせて、顔が不出来な状態でも社会に適合できるようにしようとかね、考えた訳です。
実際に文章にしてみると本当に悲しい考えを持った中学生ですね辛い

まあ皆がみんなこんなプロセスを経たのかはわからないけれど
私の場合はこの挫折からの方向転換が今の女子力へのコンプレックスをね、生んだ気がします
要は


「顔が可愛くないくせに可愛い事なんて出来ない」


という気持ちが生まれたのです。
そしてその気持ちをひた隠しにして「可愛い系の性格じゃないだけです」という壁を作り上げて
そのキャラに徹していたら、もうすっかりそれが板についちゃったっつーね。
もう今じゃ特に何も考える事なく、恋愛に夢中になる可愛い女の子♡を見るだけで
反射のように鳥肌が立つ人間になりました。ワーイ!


女の子の事をやたらと「かわいいかわいい」と誉め称え
おじさんのような言動をする女子に疑問を覚えた人も多いと思うんですが

あれはきっとね、土俵をおりてるんです
戦う事をあきらめて、同じ「かわいい女子」というリングからおりて
「可愛い女子を評価する側」とかに徹して、比較されるのを避けてね、いるわけです


でも考えてみると可愛い事には何の非も無いんですよね
可愛いは正義、という言葉は本当にその通りだと思います
そして、可愛い子が可愛い事をするのがもちろん最強だけど、
可愛い事をするブスと可愛い事をしないブス
やはり後者の方が、よりブスなんですよ(死にたい)

まあ、一方でそういう女の子女の子していない女子というのは
ある一定の層(大体モテない、自分に自信が無い男子の皆様)に
需要があるようにも思うので、良いような気もしないでもないですが



しかし本当の敵は可愛い女子ではなくて
顔の出来がいいのにほんの少し可愛くない行動をする奴らなんです
可愛いのに発言がオッサンだったりする感じの。
違うんですよ、可愛いのに、じゃなくて、可愛いから何言っても許されるんですよ
彼らには余裕があるんですよもうぶん殴るぞ

「顔は良いのにこんなことをしちゃう私って個性的でしょ」とか、そういうね、
「可愛いだけじゃないんだ私」みたいなね

いやいや、待ってくださいよ
こちとら可愛い選択肢が無くてユニークさで売らせてもらってる訳ですよ
そこをあんた、両方マスターってどういう事っすか
男のハートを両方からはさみうちですか
逃げ場ないじゃないですか、完全ゲット出来ちゃうじゃないですか
商売上がったりですよ、激おこプンプン丸ですよ



結局可愛い女子にも非可愛い女子にも需要があるのでね、
どっちの女子もやり方次第で幸せになれると思う訳ですが
もう、最後にあげた挟み撃ち系女子はね、もうね、
営業妨害とかで、こーどうにか逮捕とかしていただけると大変助かります。

でもまあ年を重ねると可愛くなる方法はどんどん増えてくるので
いつか、打倒挟み撃ち系女子、してやりたい。
多分来世になるけど。

拍手[13回]

PAGE TOP